広島に伝わる『あまんじゃく伝説』(No.3)

津久根島はカキイカダ、ノリヒビの中にポツンと立つ、高さ20mの小島で、頂上に少し平らな所があり、そこに道空の墓が立っています。なぜか五日市に背を向けています。広島市と似島方面が見渡せる東斜面に望楼跡らしいものが残り、そして周囲は瀬戸の潮風を受けていびつに育った松が茂っています。

しかし、現在、対岸で、埋め立て工事『五日市港湾整備事業』を行っている為、行き場を無くした渡り鳥(カワウ:環境庁の保護鳥)が津久根島に住み着いた為、鳥のフンで、松が枯れて景観が損なわれています、また、津久根島は、国定公園内なのでむやみに木の伐採もできないので今後、あまんじゃくの子孫は、行政機関と相談して、島と鳥の保護に努めていくようであります。

1984年の津久根島 1996年3月の津久根島

戦前は湯蓋家のものだった島も第二次大戦では「津久根島防衛区」として海軍に接収されました。終戦後の昭和26年に払い下げが決まりましたが、道空の子孫を名のる湯蓋代吉さん(故人)、湯蓋正治郎さん(故人)と弟の徳三さん(故人)の三人に「先祖の墓だから」という理由で昭和28年5月2日、墓参さえならなかった島が払い下げられました。(土地150坪(380u)立木竹十石)

接収されている時に墓石が海中に沈んだのではないかという話も伝わっています。「あまんじゃくの父の墓なのに、勘ちがいしたのか忠君愛国の時代に親の言うことを聞かないようなものの墓があるのは許せないといって海に落としたというのですが…」と野村さん。

津久根島にある『あまんじゃく』の父 道空の墓
墓には、天保13年次壬寅秋日再興(1842年)とあります。芸藩通志には「墓石往年海中に崩れ落ちしが、その後漁人、魚を獲ざりければ、重て修といふ」とあります。よくよく海に落ちる墓であります。

それは息子道裕への願いが届かず、あまんじゃくぶりがおさまらないとの道空の戒めなのでしょうか。

「いや、不孝者どころか、親孝行息子だった」 と推測するのは道空ゆかりの塩屋明神の宮司河野貞愛さん(故人)。「道空は海老山へ墓を立てたかった。しかし、宮島のように海老山も塩屋明神の聖域だった。父はそれをおかそうとした。道裕は反対し”あまんじゃく”の汚名を着てまで津久根島へ墓を持っていったのだ」と道裕をかばっておられます。とすれば本当のあまんじゃくは息子でなく父道空だったのでしょうか。

塩屋明神の夏祭りは、あまんじゃく退治の祭りともいわれます。管弦船が津久根島辺りへ繰り出し、道空、道裕の話に花を咲かすのです。

塩屋神社

[参考文献]__生きている伝説(中国新聞社)

前へ ホームページへ